8.うんちくもいってみたい


インターネットはこんなすがた
はじめに、インターネットのイメージをつかんでおこう。
インターネットは、世界中のネットワークをつなぐネットワークだ。 大雑把にいうと、西瓜にかぶせた玉葱ネットのようなもので、勿論西瓜は地球を意味する。 玉葱ネットの紐が通信回線、ネットのつなぎ目が大学や企業、研究機関、政府機関、 商用パソコン通信、商用インターネットサービスなどのWWWサーバーにあたる。世界中の コンピューターやコンピュータ・ネットワークをつないだネットワークの蜘蛛の巣の ようなもの、それがインターネットだ。
地球の裏側のサーバーのWWWにアクセスしたいときは、「ボリビアのラパスの あのサーバーのあのWWW」と、宛先(URL)をブラウザ(WWW表示ソフトウェア)に 入力してリターン・キーを押すだけだ。その結果、目の前のパソコンからの表示要求が、 接続されているサーバー(実際はルーター,ゲートウェイ)に送り出される。データを受け 取ったサーバーは、その宛先を見て目的地への近道を選び、次ぎのサーバーにデータを 渡す。データがつぎのサーバーにつくと、その親切なサーバーはまた近い道を選んで、 次ぎのサーバーにとデータを送り出す。見知らぬ旅人を助けるボランティア達にリレー され、希望のサーバーにあなたの要求データが着くと、目的地のサーバーは要求に応える べく、指定のWWWのデータをあなた宛に送り返す。あなた宛のデータは、再び バケツリレーされ、目の前のパソコンに到着しブラウザにより表示される。文に書くと 長いが、地球の裏側のボリビアのホームーページでも5秒もあれば表示が始まる。
一度に送れない大きい文書や絵は、それぞれ宛先を書いたパケットという小さい 小包に分けて送られる。ちょうど大きな荷物を小さくいくつかの小包に分けて、宅配便で 送るようなものだ。ピアノを分解して送ると、到着したとき元のピアノに組み立て られるかは心配だが、デジタルの世界では大きな画像や音をいくら小さく細切れにして も、ちゃんと元の形に復元できるので心配はいらない。小包の山はトラックで一度に 運ばれるのではなく、サーバーとサーバーを結ぶ通信回線の上に、誰のパケットでも 構わず乗せられ、蟻の行列のように連続して移動する。パケット方式では通信回線を 特定の人間のデータが占有するということは行なわれない。
扱うパケットの量が多くなり、自分宛のパケットとパケットの間に他の人のパケットが 沢山入り、データとデータの間の隙間が大きくなると、WWWの表示が途中で 止まり、ちょっと待ってからまた表示されたりする。


インターネットのおいたちは
なんにでもはじめはあるものだ。ここでインターネットがどう発展してきたか、みて みよう。
インターネットの礎はアメリカの国防省が冷戦のさなか、1969年にはじめたパケット 交換ネットワークのARPANet(アルパネット,Advanced Researh Project Agency Network, 高等研究計画局ネットワーク)だ。ポール・バフィンらが行なったこの実験の目的は、 1つの通信回線が切れてもほかのルートを通ってデータを送れる、核攻撃を受けても 切断されない分散型の通信システムを作るためにあった。
コンピュータ1台がジェット機ぐらい高価で、家庭はおろか企業や大学に普及するなど 誰も思わなかった時代に、アメリカ全土をカバーする広域ネットワークの実験を はじめたアメリカ人達は、恐ろしい程の先見性を持っていたといえよう。 しかも、現在のコンピュータネットワークに関する技術は、ほどんどこのARPANetで 開発されたといわれる。
西海岸の4つのコンピューターを結ぶことから始まったARPANetだが、1974年には30ヶ所 以上を接続するネットワークになる。
1975年にはDCA(国防通信局,Defense Communication Agency)に管理が移り、 DDN(Defense Data Network)と呼ばれるようになり、1983年に軍事目的のネットワークの MILNet(ミルネット,Military Network)と、研究目的のネットワークのARPANetの2つに 分かれることになる。
APRANetは、パケット交換の手順や通信プロトコル(通信の規格)を TCP/IP(Transmission Control Protocol/Internet Protocol)として標準化し、一般に 公開した。IP(Internet Protocol)のバージョン4が1982年に決定され、UNIX 4.2BSDに 組み込まれたため、IPを使った通信網はUNIXを利用していたアメリカの大学に急速に 普及していった。4.2BDSはUNIX ワークステーションの標準OSにもなったため、大学内の ネットワークはEthernet(イーサネット)とIPで組まれて急速に広がり、さらに他の ネットワークにも接続されていった。
1985年にはNSF(全米科学基金)が資金援助してNSFNetを作り、全米のスーパーコン ピュータセンター5つを接続した基幹ネットーワークをARPANetに提供した。これが インターネットの始まりだ。インターネットという言葉は、ネットワークと ネットワークをつなぐという技術、インターネット・ワーキングを行なうことの 技術的ステータスから派生したともいわれる。
1990年に、ARPANetはUUCP(Unix-toUnix CoPy)のネットワークUSENetとともにNSFNetに 吸収されCSNet(Computer Scientce Network)ができあがった。

日本では大学や研究所を中心に1984年にJUNet、JUICE、1987年にWIDE、JAIN、TISN、 1992年にはSINetなどのネットワークが動き出した。商用インターネットサービスは、 1993年頃にIIJ(Internet InitiativeJapan)ができ、ATT&JENSとともにサービスを始 めた。さらに1994年後半から、富士通のinfoWebが個人向けのサービスプロバイダを 始める。
1995年春には「インターネット」という言葉がコンピュータ雑誌に目立つようになり、 有料のインターネット・セミナーやデモンストレーションも大盛況、 商用プロバイダも急激に増えた。インターネットカフェが生まれたのもこのころだ。 この頃のインターネットに関する雑誌は2冊を超えた程度で、インターネットについて 書かれた本はUNIXをベースにE-mailの説明から始まるもの、Macintoshとフリーソフト、 シェアウェアを使ってインタネットに接続しようというものが多かった。
この年の秋には、TVでインターネットの特集が組まれたり、沖縄の署名拒否の賛否など ニュース番組でインターネットを使ったアンケート調査が行なわれたり、、FM局でイン ターネットによるリクエスト受付の実験があったりと、マスメディアの表にインター ネットが具体的な利用の形で現れ始めた。商用プロバイダの接続料 も大幅に下がりはじめる。
1996年始めには、商用プロバイダも100を越し、1年前とは様相が激変する。日本テレコム の、全国どこのアクセスポイントでも1分10円で接続するサービスも開始され、地域差が 少なくなった。
6月にはパソコンに広告を表示する代りに接続料金は無料というサービスを、アス キーの「インターネット・フリーウェイ」が開始し半年で17万人の会員を集めた。 URLが電車の中吊り広告、新聞、雑誌などに溢れ始めたのに反比例して「簡単」を 訴えるパソコンの広告が消えて行ったのは不思議だった。 インターネット関係の雑誌も増え、ページを開くと百花りょう乱、普通の情報誌と 同じ様な作りでWWWの紹介が行なわれるようになった。
1997年にはインタネットの記事が新聞に載ることは稀になり、電子商取引や、サイバー モールなど、インターネットの具体的利用にニュースの中心は移ったが、 インターネットの中では、新聞の記事に現れることもないショッピングモールが整備 され、安心して使える代金支払の方法で魅力ある商品が販売されていた。 1997年の夏には、携帯電話、PHSなど移動体通信とインターネットをつないで情報交換 をするモバイルギアが多く登場し、新たな市場を生みだそうとしている。


インターネットはただではない
インターネットに接続してしまえば、ヨーロッパでもアフリカでも地球の裏側の南米の WWWでもお好み次第で表示できる。欲しい絵や写真や音を自分のパソコンに ダウンロードすることもできる。しかも、自宅からプロバイダのサーバーに接続して いても、費用はアクセスポイントまでの電話代と接続料だけだ。どうしてラパスの 新聞社のWWWを見ても国際電話料金がかからないのだろう。 かぼちゃが馬車に変われば、どこかで王子様が蛙になってバランスが取れるもの、 ただで外国のデータを取り寄せる影で、泣いているのは誰だろう。
インターネットを運営するには、サーバーや端末などのハードウェア、いろいろな ソフトウェア、通信回線、衛星回線、管理する人達の人件費などいろいろな費用が かかる。
ほとんどの商業プロバイダは自前で通信回線を引いて上位のサーバーに接続している。 上位のサーバーは相互に回線で接続され、国際通信回線で外国のサーバーに接続されて いる。この通信回線の多くはNTTのデジタル専用サービス (専用線)で、結構な接続料を払って光ファイバーケーブルのあっちの端とこっちの端を コンピュータにがっちりと接続してもらっている。
当初、インターネットは非営利のネットワークだった。そのころ接続していたのは大学や 研究機関だけで、インターネットのサーバーをつなぐとき、使う量や使い方に応じ回線の 費用などを自分で負担してきた。
        server   server   server  server(End)
          O--------O--------O-------o
           50%  50% 50%  50%      100%
これはいわば私道であり、国を超えて研究所や大学が作った私道もある。 ところがインターネットのサーバーは自分のところに来たパケットはどんなものでも 区別しないので、これらの私道にも企業や商業データ、個人データが流れ込み 送り出される。回線の容量以上のデータ(トラフィック)が流れ込むとその回線は渋滞が おき、回線の持主でさえその渋滞に巻き込まれることになる。
インターネットは発展経過から広く解放され、私道を使わせてくれる風土があるが、 使わせてもらっているという意識は持つべきだろう。
また、大学や会社でインターネットを使うときは、自宅からのダイアルアップIP接続の ように接続料を心配することはないが、参加組織が利用する量や形態に応じてサーバー や通信機器の設置、通信回線の契約のための費用を負担していることを心に留めて おこう。


まいごのデータのゆくえは
ブラウザから送り出されたデータは、途中のサーバーがめざすURLへのルートを (ルーター,ゲートウェイ)を選んで目的地まで送ってくれる。
目的地に無事たどり着いたデータはめでたしめでたしとして、いつまでたっても希望の サーバーにたどりつけないデータは、さまよえるオランダ人のように未来永劫インター ネットの中であてのない旅を続けるのだろうか。
迷子のデータにインターネットの中をうろうろされては困るので、決められた時間の あいだサーバーを探し回っても目的地に着かないデータは消されてしまう仕組みがある。 データを送り出すときに時計を持たせておいて、サーバーが道を決めたり、送り出し たりするときにかかった時間を時計から減らし、持ち時間が0になったらそのデータを つかまえていたサーバーがデータを消す。持ち時間の最大は255秒だ。
また、宛先のアドレスがないことがわかれば、宛先到達不可能(Destnation unreachable) というエラーメッセージが送り元に戻され、ブラウザが「サーバーが見つかりません」と いうメッセージを表示する。
サーバーがデータを送りだし...と書いてきたが、実際はゲートウェイ (ルータともいう)がネットワークとネットワークの中継をしている。


インターネット運営の組織
IAB(Internet Activities Board)
インターネットの運営、標準プロトコルの決定
IETF(Internet Engineering Task Force) IABの下部組織
インターネットの短期的な課題を検討し解決する
IRTF(Internet Research Task Force) IABの下部組織
インターネットの長期的な課題を検討する
FNC(Federal Networking Council) IABの支援
通信に関する研究のスポンサー


インターネットはインフラストラクチャー
電気を知らない人に電気の説明するのは難しい。
「あれはシビレルもんだ」、
「ガラスの玉をつけると光るんだ」
「箱をつなぐと音が出るんだ」
「針金を巻いてつなげると暖かくなるんだ」
「火花がでて大きい音がするんだ」
インターネットはなんと説明すればいいのだろう。
「絵がつぎつぎ変わるんだ」
「猫が鳴くんだ」
「水着を着た女の子や、水着を着ない女の子が見れるんだ」
「求人ができるんだ」
「就職で有利だ」
「広告だ」
「やってれば目立つんだ」
「出店だ」
「共同研究ができるんだ」
「黙っててもアンケートが集まるんだ」
「買物ができるんだ」
「調べ物ができるんだ」
「絵や文が送れるんだ」
「ソフトウェアが手に入るんだ」
「遠くのコンピュータを操作できるんだ」
鉄道や電気、電話があるのは当り前に思えるように インターネットはそのうち空気のような存在になるだろう。 インフラストラクチャとはそういうものだ。
インターネットは電気のようなものだが、当時電気を充分理解して家庭に 引いた人は少なかっただろう。

電気を引くのに反対の理由
「なんだか解らないものに金が払えるか」
「明りなら菜種油のほうがずっといい」まさかね。
「ランプでも十分明るい」こんなもんでしょう。
だが逆に電気を引いた人はどうして
「おじいさんは昔からハイカラだったから」
「文化的な生活をするんだ」
「回りがみんな使いだしたから」
1996年の春にはインターネットにアレルギーの連中が多かった。 田舎では、弱味を見せまいと虚勢を張るようにインターネットを攻撃するやからが多かった。
1997年の初めには、その連中も一応判ったような顔をして、話に加わろうとしていたが、 とんちんかんなことをいってはひんしゅくを買ったものだ。

インターネット・カルチャーがないとインターネットは普及しない。 イントラネットを入れても使わない。
好奇心はインターネット・カルチャーの一つだ。


海外までは高いんでしょ?
1997年の初めにはインターネットの説明をしたとき、「海外 までインターネットでつなげるとお金はいくらかかるの」という質問をかなり受けた。
インターネットで海外のWWWにアクセスしても、国際電話の料金はかからないのだ。 自宅から、ダイアルアップIP接続でインターネットにアクセスするとき必要な費用は、 パソコンからプロバイダまでの電話料金と、プロバイダ に払う接続料だけだ。あなたのパソコンが プロバイダのサーバーに接続されれば、インターネットの中に入れる。
インターネットの中に入れば、そこは別の世界だ。
フィンランドのソーセージ屋のメニューやシカゴの美術館のモナリザ、タイムズ スクェアやテルアビフのライブカメラなど、国境も時差もなくリアルタイムで つながっている。インターネットには国境検問所や税関もない。そもそも、 よその国という概念がないのだ
URLを入力するだけで、インターネットの中のどのWWWでも表示することができる。 もちろん、何にでも例外はあるもので、シンガポールのようにプロバイダにプロキシ サーバーとフィルタリング・ソフトの導入を義務づけ、好ましくないWWWにアクセス できないようにして、国家レベルでの厳格なしつけを続けようとする国だってある。


Java
JavaはSun MicroSystemsのJames Gosling氏らが開発した、 WWWブラウザをインター フェイスとする、すべてのOSで動く言語だ。
WWWブラウザで航空会社のWWWを呼びだし、希望の路線と便、購入希望金額 をクリックしたあと、表示された飛行機の空席をクリックして座席を予約することや、 医療関係のWWWで人体のイラストの部位をカーソルでつぎつぎ示して、 CTスキャンされた人体の断面を滑らかに連続して表示するなどのインタラクティブ な処理がJavaを使うことで実現できる。 Javaはインターネットの既存の技術の上で動的な表示を行うためのツールだ。

Java言語
JavaのSource CodeはCompiler(一括翻訳)で小さくて伝送に有利な中間コード(ByteCode) を生成し、インタープリタ(逐次翻訳)形式のJavaVM(仮想マシン)上で実行される。
一般にInterpreterはcompilerに比べ実行速度が1桁遅くなるが、JavaもC言語より 実行速度が20倍位遅い。このためJavaVMで実行の直前にJIT(Just-In-Time) compilerで コンパイルを行ない実行速度を上げていが、さらにHotSpotと呼ばれる最適化技術を 用い、C++言語と同等の実行速度の実現を進めている。
JavaはC++を改造した言語のためSyntaxは似ているがポインタの直接操作は行なえない。 このためC言語に多いメモリ関係のバグが減り、開発の生産性を上げることができると ともに、ポインタを利用したコンピュータウィルスが作れないことでセキュリティの 信頼性を向上させている。さらに、appletの実行制限、Fileのアクセス制限、 公開鍵方式、暗号化方式(RSA Encryption)などインターネットでのセキュリティ機能を 持つ言語仕様になっている。

Java OS と Java Chips
Java OSはネットワーク機能で代替できるfile systemなどを省いた2,3MBの大きさの 軽いシステムで、512KBのROMで動作するものもある。
The Real Network OSはハードウェア上に直接Java環境を実装するもので、応用分野は NC、PDA、携帯電話、交換機、ATM、TV、電子レンジ、コピー機、プリンタ、 カー・ナビゲーション・システムなど多方面にわたる。情報家電向けには簡易Java OS が発表される。
Java ChipはCompilerで作成される中間コード(ByteCode)を直接実行する命令セットを 持つSPARC Chipで、Sunがライセンスし、NEC,三菱などで生産される。1996年に picoJAVA、1997年に小型、高速で安価な microJAVA、1998年には多機能で最高速の UltraJAVAがリリースされる。

1995夏,MicroSoftはJavaについては静観していたが、JavaがOSに依存しない アーキテクチャで、wintelの牙城が崩れるとアナリスト達が見はじめた1996年5月、 MicroSoftはActiveXを提唱しはじめた。1998年あたりがJavaにとっての山になるだろう。
MicroSoftは同社のInternet Explorer4.0にJavaの仕様と完全には互換性がないJava インタープリタを組み込んだが、このアプリケーションでテストされたAppletは他の プラットフォームやブラウザで動作しない可能性が出る。またMicroSoftのJava開発用 Visual J++がWindows専用のAppletしかできないためSunはIE4.0とVisual J++の販売停止 を提訴した。
1997年11月18日、SunのJavaの仕様はISOIECJTC1委員会に採用された。

Java WWW Home Page
 http://www.javasoft.com
Java Applet Server ... 2000,3000種のソフトあり。game500種以上
 http://www.gamelan.com 
Java FAQ
 http://www.webcity.co.jp/andoh/jaba/index.html/
NetNews
 news:comp.lang.java    news:fj.lang.java
Java Onkine Magazine
 http://www.javaworld.com
Anonymous ftp
 ftp.jabasoft.com
Mailing list
 java@java.sun.com


毎回転生または輪廻の虻
パソコンは進化し続けている。いつまでたっても完成されず標準もできない。 パソコンを買ったがインストールしかやったことがないという笑えない話がある。
パソコン黎明期の8bitマシンはマイコンと呼ばれていた。CP/Mという最大メモリ64KBの OS上でWordStarなどのエディタやSuperCalcなどの表集計ソフトを動かしていたが 漢字は使えなかった。ユーザーはもっぱらFORTRAN77、COBOL、BDS C、Turbo Pascal、 MS Basic、Z-80 Assemblerなどの言語を用い、自分用のアプリケーションを組んでいた。 それでも今まで汎用機の世界でしかできなかったこのような言語でのソフトウェア開発が、 自分のマイコンでできるようになったのは画期的な出来事だった。CP/M Plusになって ようやく漢字が扱えるようになり、日本語ワープロソフトが動かせるようになった。
16bitのCPU8086が現れるとMS-DOSが登場する。扱える最大メモリは640KBだったが、 当初のマシンに実装されていたメモリは128KB程度しかなかった。
そのころのパソコンはグラフィックスを扱うことは難しく、ワープロ、表集計、いい ところデータベースが主なアプリケーションだった。 家庭内にワープロやデータベースを使う機会もデータもそうあるわけではなく、 授業の時間割を作ったり、年賀状、同級会の通知をつくるなどパソコンの出番は年に 数回だった。住所録をデータベースに入れて、システムノートの紙に印刷すると格好も よく、いつでも最新版が簡単に作れると悦に入るが、家族の構成や血液型、その他もろ もろのフィールドを増やしたデータベースの更新が面倒で、システムノートの住所録に は手書きの文字が増えていった。表計算で家計簿をやろうと妻に勧めたが、プラグマ ティストの妻はいちいち入力するより家計簿を開き筆記する方が早いことを看破し、 たちまちパソコンにほこりが積もる。家にあるパソコンは、パソコンを動かすこと自体 が目的になり建設的な仕事には全然従事しなかった。
そうこうしているうちにもVersion 3.01、3.3BとDOSはどんどん新しくなる。 バグの手直しやハードディスク、CD-ROMへの対応などが追加されて行ったが、DOSの コア部分はほとんど変わらず、基本的なコマンドも変わらなかった。インストールを 繰り返し、Dos 5.0になったとき Windows3.1が動くようになった。ハードウェアは CPU 80386、メモリ 8MB、120MBのハードディスクが最先端だった。Version 2に比べ グラフィックが大幅に強化されたWindows 3.1はやっと日常的に使えるレベルになった。 当時のハードウェアは高価だが貧弱でスピードも遅く、アプリケーションをびゅん びゅん動かすことは夢で、データベースにグラフィックを入れようものなら320x240 pix程度の画像を1枚が表示するに3分以上もかかった。
Windows95がでると世間中にパソコンが溢れ、会社の机の上にもパソコンが現れるよう になる。グラフィックスがパソコンで扱えるようになったころ、インターネットが身近 になりWWW作りが盛んになる。そのころのインターネットのアンケートによるとインター ネットにアクセスする6人に一人がWWWを持っていたらしい。ワープロ感覚でHTML文書を 作れるようになったので、閃きをみせるのはいきおいグラフィックになる。ペイントや ドロー、レタッチなどいろいろなグラフィック用ソフトを覚え絵に凝りだす。ようやく パソコンでないとできないことが現れたのはいいが、ワープロ、表集計、データベース だけでなく、ドロー、レタッチ、ブラウザの操作のほか、インターネットの接続、 デジタルカメラのデータ転送、カラープリンタにきれいに印刷する方法、はては150MB を超える巨大なOSの設定まで、覚えなければならないことが一挙に数十倍になった。
もらったソフトウェアや雑誌の付録のCD-ROMのソフトウェアをインストールして行く うちに、暗黒の宇宙でも入りそうだった1.2GBのハードディスクの空き容量がないこと に気づく。うんざりしながら使わなくなったソフトウェアをゴミ箱に捨てるが、それでも 100MBちょっとの空きにしかならない。Windowsでは本体以外に xxxxxx.dllがありこちら のほうが大きいソフトウェアがあるのだ。友人のMacintoshが不要なものをゴミ箱に捨て るだけで整理できることをうらやましく思いながら、いっそのことと再インストール してみると1日以上かけた甲斐あって Windows本体と必要なソフトウェアで600MB弱に おさまる。生まれて初めての再インストールを体験し自信もついて、操作にも慣れた ころバージョンアップの季節が到来する。いままでの蓄積したノウハウの三分の一が 失われ、新しく増えた機能を覚える羽目になる。インストールをして動きがおかしく なったソフトウェア同志の調整をして新しいバージョンの操作も覚え、自分もまんざら でもないと思い始めた頃、またバージョンアップの季節が到来し....。


インターネット情報引きだし術
インターネットの利用者はインターネットからなんらかの情報を取りだそうとする わけだが、インターネットはあまりにも大きく、飛び込んだはいいが闇雲にリンク、 リンクを続けていても道に迷いたださまようだけになってしまう。
効果的に情報を取り出すには、それなりのシステム(探索方法)を作ることが必要だ。

情報を得るにはそのURLを探さねばならない。URLを得る一番の近道は検索サーバー だ。検索サーバーにも全文検索サーバー、インデックス検索サーバーなどいろいろ な種類がある。
検索サーバーではさまざまなURLを指定の単語(キーワード)で検索することが できる。検索サーバーも数が多いが、 Japanese Open Text Index TITANExcite Search - JP. EditionSenrigan search の4つの検索サーバーで大概の目的は果たせる。このほかにも、 Infoseek Japan、「NETPLAZA Robo」、Hole-in-One、ODIN、Rcaau -- mondouなど 多くの検索サーバーがある。 検索サーバーによって得意不得意のカテゴリーがあるので、その傾向を掴んでおけば 手早く効率的に検索することができる。グラフィックが多いためWWWを開くのに時間が かかる検索サーバーもある。最近はバナー広告を掲載するサイトが増え、急いでいる ときは特にストレスがたまる。
米国の検索サーバーは、 AltaVista The Open Text Index EXCITEなどがお勧めだ。
このほかにもInfoseek Ultra、Infoseek Guide、LycosHotBot、などもいい。
全文検索でなく人間が登録するサーバーだが、 Yahoo! JAPANYahho! searchも効率よく URLを探すことができる。キーワードの検索もできるが、トップページから カテゴリーを選び、さらにサブカテゴリーを狭めていくと芋づる式にURLを見つける ことができる。
米国のYahoo!はさらに情報量が多く、目的の情報を引きだしやすい。同じアウトドアと いうカテゴリーでもRecreation:OutdoorsとBisiness:Outdoorsというサブカテゴリーが あるなど登録が適切で、きめ細かく整理されていて情報が引きだしやすい。
日本のYahoo!は個人、企業の情報が中心で、リンクの先を探してもなかなか系統だった 情報にめぐり合えないのが残念だが、米国のYahoo!には、政府機関、研究機関、教育機関、 民間団体などのURLも登録され、インターネットカルチャーの厚みを感じさせられる。
ブックマークにYahoo!のカテゴリーを登録しておけば、いつでも最新のURL情報を手に 入れることができる。日米ともサブカテゴリーリストを見ておくと検索が楽になるが、 リストは50KBを超え、Computer and Internet(US) などは150KB以上ある。


................加筆中です..........................
入口系
すべてのURLをブックマークに登録するわけにはいかないので、"元"を押えてそこから リンクを広げるための入口として利用する。
検索サーバーは単語が集まるから、一本釣りで検索をかけることになる。 インデックスサーバーは、カテゴリーを狭めながらの追込み漁になるだろうか。
インデックスサーバーのYahho!は日本のカテゴリーから米国のYahho!のカテゴリーに リンクしている。Yahho! Japanは、個人、小売業、会社などが中心だが、米国のYahho! には政府機関、公共機関、大学、民間団体、会社、個人などさまざまな登録があり、 カルチャーの大きな差を感じる。
Yahho!は自分で登録でき、二週間ほどで掲載されるため、比較的新しい情報が入手できる。 リンク集は検索サーバーやインデックスサーバーから探しだすが、必要なURLを手に入れ たらブックマークに入れずに消すことが多い。

最新情報入手系

最新情報を得るためのWebだが、問題は最新情報を載せているWebをどう探すかにある。 ルマン24時間レースが始まってからそのWWWを探したが、検索サーバーで 見つかるURLは去年のものばかりだった。新しすぎる情報は、全文検索サーバーにも 入らず、インターネットのどこにあるか分からないので、雑誌などからのURL情報が たよりだ。
日頃から、情報が早いサーバーはどれか、どのサーバーはどこカテゴリーに強いかを チェックしておくことが必要だ。

いつでもデータ入手系

信頼できる情報が、いつでも手に入るWebだ。
大学、企業、政府機関など、長期にわたって継続してデータを蓄積している意志が あるところがいい。
ftpサーバーも有用なアーカイブだ。 情報がいつでも手にはいるパブリックな場所を登録

やすらぎ系

実利系


一家言について
ラリーは腹蔵なくものをいう人間をもって自認しており、いきおいどんな話題にも 一家言なしではすまないことになる。だがジャロウの目から見れば、それはたいて いの人なら口に出さずにすますような見解を胸にしまっておく能力に欠けていると いうことで、どんな人間だろうと軽率のそしりはまぬがれないし、いささか誇りあ る職業にたずさわる者としてはむしろ不謹慎に近いと言っていい---
マルチプレックスマン ジェイムズ・P・ホーガン 小隅 黎訳 創元SF文庫 THE MULTIPLEX MAN JAMES P.HOGAN
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